心を操る”ことば”の力 語彙を増やすとアタマが良くなる?
野球やってたらウデを骨折しちゃってさ、病院に行ったら全治3ヶ月だって
ホントに? 仕事は大事なの? 災難だったわね、お大事に
よくあるかはわかりませんが、まあ普通の会話ですよね。ですがちょっと待ってください。この「骨折した」という文章、いい感じに英語にしたらどうなるでしょう?
・I broke my arm
これ、日本語にすると『わたしは私自身のウデの骨を折った』となりますね。この訳の受け止め方次第では「自らの意志で自分のウデの骨を折ったの!?」となりそうですが、英語を話す人々にとってはこれが「(何らかの理由で)骨折してしまった」という意味になります。
骨折した ⇔ I broke my arm。これらは同じ意味ですが直訳するとまったく異なる言い回しになります。逆に言えば同じ文章でも、別の言語の場合意味が異なる場合があるということです。言語、育ってきた文化によって思考や後の会話も変化していくわけですから、わたしたちはある意味言語に会話の方向性を操られていると考えることもできるかもしれませんね。
言語は他者とのコミュニケーションを豊かにし、語彙力を高めると個人の能力をさらに伸ばすための基盤にもなります。が、言葉は同時に人のこころを操る恐ろしいツールにもなります。今回は言葉がもつ強力なパワーについてわかりやすく解説していこうと思います。
言葉と心の関係 具体的な例や専門用語をわかりやすく解説
もうすぐ『クリスマス』ですが、アナタはこのワードに何を思い浮かべますか?
もちろんサンタクロース!
わたしはクリスマスツリーかな?
七面鳥とかが並ぶテーブルとか、あとケーキみたいな?
人によりいろいろあるでしょう。もしかしたらクリスマスに関わるいろいろな映像がイメージできたかもしれません。これってすごくないですか?
アナタは『クリスマス』という言葉でいろいろな光景や関連するワードをイメージできました。これ、逆に言えばクリスマスという言葉によってアナタの心が誘導されいろいろなモノをイメージさせられたとも言えると思いませんか?
他人との会話中、わたしたちは相手の言葉から常にイメージを重ね、相手とのコミュニケーションを円滑にしています。それと同時に、言葉は人のこころを操るよろしくない面も持っています。
わたしたちの脳の中ではいったい何が起こってるのでしょうか?
言語はコミュニケーション能力を高める
人は使用する言語によって考え方が誘導されます。これを心理学では『言語相対性仮説』と呼びます。有名な学者の名を冠して『サピア-ウォーフ仮説』とも呼ばれますが、彼らは厳密な提唱者ではなく、19世紀の思想家のなかで少しずつこの概念が広まり、それを有名にしたのが『エドワード・サピア(Edward Sapir)』、『ベンジャミン・ウォーフ(Benjamin Lee Whorf)』両氏です。
たとえば『雪』という単語。アメリカの人類学者『フランツ・ボアス(Franz Boas)』は、歴史上自らをエスキモーと称していた民族の言語を研究し同じ雪でも複数の呼び方があることを発見しました。
・Aput
アプト:地面に降った雪
・Qana
カナ:降ってくる雪
・Piqsirpoq
ピクシルポク:強風で巻き上がる雪
・Qimuqsuq
チムクスク:雪の吹き溜まり
これらを見て「いやいや、日本語にも降雪とか吹雪とかフツーにあるじゃん!」と思いますよね? ――しかし、降雪は『雪 + 降る』で作られた熟語であり『雪』単体を表す言葉ではありません。エスキモー語では上記をすべて別の概念における“雪“として、別単語として扱っていたのです。
北方の厳しい環境で暮らす民族にとって、どのような状態の雪なのかは非常に重要な概念だったのです。これがサピア-ウォーフ仮説とどのような関係があるのでしょう?
友人から「昨日さ、歩いてたら雪のせいで転んじゃったんだよ」と言われた時、アナタはどういった映像をイメージするでしょう?
ちょっと凍りかけた地面に固まった雪?
すごい大雪で視界が悪く、吹雪に襲われた?
積もっていた雪を踏んだら底が無かった?
これらはその時の状況で判断するしかありません。さらに会話を重ねて詳しく聞くしかないでしょう。では上記の言語の場合どうなるでしょう? 友人から「昨日さ、歩いてたらAput(地面に降った雪)のせいで転んじゃったんだよ」と言われたら上記3例のうちどのシーンがイメージできますか?
ある状態を表す言葉がある。たったこれだけで聞き手はスムーズに映像をイメージできるようになります。これが言葉の力なんですね。
この『エスキモーは多くの“雪“の単語をもつ』という逸話。実はサピア-ウォーフ仮説の例でよく登場します。たまに「100種類以上の雪があるよ!」と紹介されたりしてますがそんなことはないのでご注意ください。
実際にエスキモー(イヌイット)の方々が何種類の“雪“をもつかに関してはざまざまな議論が巻き起こっていますが――個人の感想を述べるなら、論文を調べるより『実際に聞いてみる』ことがいちばんだと思います。身近にイヌイット族の方がいればよかったのですが……。
ツンドラの記憶: エスキモーに伝わる古事University of ALASKA Fairbanks
当該論文に関しては こちら(英語)
言語は勘違いも生み出す
画像最下部の英語は『James, while John had had “had, had had “had had“; “had had” had had a better effect on the teacher』 = ジェームズは、ジョンが “had” を使ったのに対し、”had had” を使った。”had had” は先生にとってより好印象だった と読める
サピア-ウォーフ仮説では以下2種類の説が提唱されています。
・言語決定論
ことばが思考を規定する
・言語相対論
ことばが思考の内容に影響を及ぼす
どちらにしても、つまりどのような言語を使用するかで、その人の思考や感じ方が形作られるということです。具体的にどのようなことを指すのでしょうか?
言葉がこころに影響を与える例 ことばと文化
YouTubeチャンネル、TED:投稿動画より
言葉はすばらしいコミュニケーションツールですが、わたしたちは言葉によってこころが誘導されてしまう側面もあります。
ここで言う『こころ』とは知識といった脳の機能面も含まれます。読書ですぐれた語彙を鍛えれば物事を表現する手段が増え、未知のものを理解するための表現も増え、結果としてより多くの知識を身につけることもできます。逆に、すべての物事に対し「すごい」、「ヤバい」、「エモい」という言葉しか使えなければどうでしょう? コミュニケーション手段が制限され、自分自身のこころを伝える手段が限られてしまいます。結果としてより深い会話や学びのチャンスを逃してしまうかもしれませんよね。
こういった面もあり、言葉を学ぶのは基本良いことです。ただし、言語はその地域の文化に根ざしているので、たとえばこういった文化的な感覚の違いが生じる場合があります。
上記の動画で紹介されるオーストラリアのアボリジニ(先住民族)『クウク・サアヨッレ族(Kuuk Thaayorre)』はあらゆることを『東西南北』で表現します。つまりこういうことです。
これから北北東に行くんだ
南西の牛乳を持ってきてくれる?
東で犬が吠えている
すべての会話がこうなっているのですから驚きですよね。この先住民族たちは常日頃こういった方向で会話しているので、方向感覚が自然と鍛えられ鋭くなっています。次は身近な例を見てみましょう。
アナタが道端を歩いている時、たまに文字が描かれた車を見たことがあるでしょう? その文字を読んで「あれ? 右から左に読むの?」と違和感を覚えたことがありませんか?
これもことばによってこことが誘導された例です。アナタの脳が勝手に『文字は左から右に読むもの』と固定化していることで、右から左に読める文字をうまく読むことができなくなる問題が発生しています。
日本語がアラビア語と同じ右から左に書く文化だったなら、トラックの文字をスムーズに読むことができたでしょう。まあ、その時は左から右が読めなくなりますけどね。
虹の色
YouTubeチャンネル、Super Simple Songs – Kids Songs:投稿動画より
虹は日本では『赤・橙・黄・緑・青・藍・紫』の7色ですね。しかしアメリカやイギリスでは『藍』を抜いた6色とされ、その他5色や4色とする国もあります。
国際的には7色がスタンダードのようですが、国々によってその色を表現する名詞が無かったり、わざわざ色分けをする必要がないような文化であれば、虹は7色じゃなくなるのです。
日本は多くの色を表す言葉をもっていますが――昔の日本は色の表現がものすごく少なかったことをご存知でしょうか?
緑は青?
さて、上画像は何色でしょう?
『緑』ですよね。しかし、日本人はたまにこの色を『青』と呼ぶ場合があります。アナタにとって信号機のあの色は何色ですか?
青りんごの色ってほんとうに『青』ですか? 青汁の色は? 青のりは? 青々とした緑って表現おかしくないですか?
日本は古くから『緑 = 青』でした。緑の概念は平安時代から誕生したもので、それまでは緑色のような色合いはすべて『青』でひとくくりにされていました。
日本の色表現はもともと『赤,朱(明)・黒(暗)・白(顕)・青(漠)』の4色しかありませんでした。もし平安時代以前の人々に青色と緑色を並べて「これとこれは何色?」と尋ねたら、おそらく多くの人が「どちらも青だよ」と答えるでしょう。緑という言語が無いからこその現象です。
色と文字の混乱
YouTubeチャンネル、吉田高志:投稿動画より
ことばによって脳が混乱する例を紹介しましょう。心理学用語として『ストループ効果』というものがあります。たとえば以下の画像の『みどり』は何色で描かれていますか?
ちゃんと「あか!」と答えられましたか? ――このとき、文字につられて「みどり!」と言ってしまわないよう注意しましょう。なかなかおもしろい脳トレになりそうですね。
病院などでは、脳の働きを上記のような課題に挑戦させる『ストループ・テスト』でチェックする場合があります。ただしあくまでテストとして使われるだけであり、ストループテストに認知症などを予防する効果があるエビデンスはないようです。とはいえやってて楽しいのでアプリなどがあれば積極的にチャレンジしたいですね。とくにパズルや空間などイメージ力を要求するナゾトレはやりがいがあって楽しいと思います。
毎日脳活スペシャル いぬのまちがいさがし 柴犬多めの巻J-STAGE、人間環境学研究誌より
ストループテストの有用性に関する研究は こちら
ことばは他のことばと結びつく
人間は脳に単語を記憶しています。ただ記憶するだけでなく、それらの意味、イメージなどもいっしょに保存し、それらは互いに繋がりをもっています。これは『メンタルレキシコン(Mental-Lexicon)』と呼ばれます。
たとえば『りんご』という単語は『果物』や『食べ物』、『赤』などと関連付けられて記憶されています。アナタは「赤い食べ物は?」と聞かれてりんごを思い浮かべることができますよね。
さらに、アナタがある単語をど忘れしてしまっても「アレだよアレ! あのボールとバットを使ってやるスポーツ!」と説明して『野球』を伝えられるのも関連付けられているワードがあるからです。脳はことばを以下のように記憶しています。
・語彙的表象
単語のイメージ
音韻、形態、印象などの情報
・概念的表象
単語の意味
文字そのものの知識情報
わたしたちはこれらの知識をネットワーク状に活用し、多くの記憶からある単語のイメージを決定づけます。だから『犬』という単語でも、人によっていろんなイメージや印象を抱くわけですね。
大阪大学、研究専用ポータルサイト『ResQU』
メンタルレキシコンに関しては こちら
バイリンガルの方のなかには第2言語を喋るとき性格が変わる、なんて言われる方もいます。それほど言語がもつこころへの影響は大きいのでしょう。
ことばは人のこころを操りますが、ことばを知らなければそもそも知識も教養も身につきません。他人からバカだと思われないためにも言葉がもつ意味をしっかり理解して使いこなしていきたいですね。
読書で語彙力を高めるのはとても良いことだと思います。アナタがずっと表現できなかったアレコレを言葉に表して、友だちと楽しく話すことができたら幸せだと思いませんか?
大人の語彙力大全
コメント